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高湯温泉紀行
高湯温泉紀行
高湯と微湯--2つの歴史美湯・静心山荘の秋遊び
2017/10/某日
2つの歴湯に、秋の湯情緒を訪ねて
列島を立て続けに襲った台風が過ぎ去り、空がようやく穏やかさを取り戻した10月下旬。高湯から程近い“微湯(ぬるゆ)温泉”の「旅館 二階堂」が今年7月、国の有形文化財に登録されたという。「玉子湯」の茅葺き湯小屋にも通じるその風情も、ちょうど紅葉の見頃を迎えた頃だろうか。秋の湯情緒を一層引き立てる、由緒あるその2つの歴湯を訪ね、一路高湯へ。
紅葉のベストシーズンらしく、辿り着いた共同浴場「あったか湯」の駐車場は満車状態。列を成す車の誘導に追われる係員の前を、吾妻スカイラインへと向かう車両が次々と追い越していく。
その様子を遠目に見ながら、まずは「玉子湯」へ。本館のフロントで日帰り入浴の手続き(1人700円)を済ませ、ロビーのある4階から湯小屋のある1階へと向かう。敷地内を流れる川沿いに点在する湯小屋と露天風呂棟は、美しく色づいた庭園の中、秋の陽射しにのんびりと佇んでいた。先の台風のせいだろうか、白濁した温泉水が流れる川の水量は、いつもより轟々と賑やかだ。「玉子湯」の風呂は内湯も含め計7つ。とはいえ晴れやかな秋晴れの今日、夫婦や家族、背広姿のサラリーマンまで、日帰りに訪れた温泉客らしき一行は、みな面白いようにこの庭園風呂の奥へ吸い込まれていく(笑)。
透明な空の高さに魅せられ、私たちもまた、開放感満点の露天風呂で五色の世界をどっぷり堪能。やわらかな光を反射し、周囲の彩りに一層映える翡翠色の湯は、短い吾妻の秋を謳歌するような、生き生きとした華やかさに溢れていた。
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高湯ゆかりの文人編・晩夏の玉子湯にて
2017/08/某日
吾妻の山に故郷を重ねた、斎藤茂吉
立秋を過ぎてまもなく。記録的な長雨に、慌てて毛布を持ち出す程の朝晩の冷え込みが続く(笑)。このぶんだと秋の訪れも早そうだ。これからの季節なら降りしきる雨音を聴きながら、一冊の本を友に夜長を過ごすのもいい。
さて、これまで[開湯伝説](詳細はこちらのブログを参照)・[江戸・明治](詳細はこちらのブログを参照)・[昭和・平成](詳細はこちらのブログを参照)と3回に渡り、高湯の歴史をご紹介してきた。日に日に深まる秋にふさわしく、最後となる今回は高湯ゆかりの文人についてふれてみたい。
良質な温泉と景勝に恵まれた福島県内には、多くの名だたる文人が逗留した。高湯にも斎藤茂吉をはじめ、加藤 楸邨、庄野潤三、埴谷 雄高などの作家が訪れている。歓楽的な温泉地を訪れた泉鏡花や若山牧水、竹久夢二といった文人とは対象的に、高湯を愛した作家は、いずれもどことなく枯淡な雰囲気を宿している。
大正から昭和初期にかけて活躍した歌人、斎藤茂吉(さいとう もきち)は、1913(大正2)年に出版した第一歌集『赤光』の「死にたまふ母」のなかに、吾妻山を詠んでいる。
吾妻やまに雪かがやけば我が母の国に汽車入りにけり
茂吉にとって吾妻は、蔵王と並ぶ故郷の山であった。この歌には、消えかかる母のいのちの灯に、朝日に映える吾妻山を仰ぎ夜汽車で急ぐ茂吉の切なる想いが綴られている。
茂吉が高湯に逗留したのは1916(大正5)年の夏、病床の父の見舞いに山形へ出かけた帰りである。そのときの印象はかなり強かったらしく、茂吉が逗留した「吾妻屋」(詳細はこちらのブログを参照)では宿の主人が「東京の客人庭坂(現:福島市町庭坂・李平)より馬にて来る」と、日記に留めている。そのとき茂吉を高湯に案内したのが信夫郡瀬上町在住の歌人で、生涯の友となる門間春雄(もんま はるお/1889-1919)であった。門馬との出会いは茂吉が編集する「アララギ」で長塚節(ながつか たかし/1879-1915)の追悼号を出版する際、長塚と懇意にしていた門間に原稿を依頼したことに始まる。
五日ふりし雨はるるらし山腹の吾妻のさ霧のぼりみゆ
高湯に滞在中に茂吉が詠んだこの歌は、現在、一切経山と吾妻小富士の間に位置する樋沼(詳しくはこちらのブログを参照)に建立された歌碑にも刻まれている。ちなみに、歌碑建立にあたり吾妻屋で確認された茂吉の歌はもう一首ある。
山の峡(かい)わきいづる湯に人通ふ山ことはにたぎち霊(たま)し湯
吾妻にまつわる歌はこの他にも第二歌集「あらたま」に16首が収録されている。そこには、下界では決して味わえない山での体験に感じ入る茂吉の、瑞々しい日々が推察できる。中にはよほど嬉しかったのだろうか、宿で意気投合した門間を詠んだものもある。
霧こむる吾妻やまはらの硫黄湯に門間春雄とこもりゐにけり
門間はこの来訪からわずか半年後に結核を発病し、30歳という若さで急逝した。門間の歌人としての才能を認めていた茂吉にとって、この衝撃は大きかったようだ。そんな茂吉と門間、高湯温泉の繋がりを記した樋沼の歌碑は2006(平成18)年に経年劣化の修復が行われ、今なお、蔵王と吾妻という二つの故郷に見守られた同じ地で時を刻んでいる。 [全文を表示]
高湯 昭和-平成時代編・不動滝と夏露天
2017/07/某日
林間に響く瀑音、不動滝で夏涼み
緑したたる夏。この季節、高湯を訪れたらぜひ足を伸ばしたい納涼スポットがある。“熊滝”、“鼓滝”と並ぶ“高湯三滝”のひとつ「不動滝」だ。大正時代の文献にもその名を連ねる滝までは現在、唯一、遊歩道が整備されている。入口は花月ハイランドホテル(詳細はこちらのブログを参照)の駐車場手前から右に折れた細い山道を登り、かつての硫黄鉱山跡の“ボタ山(捨石の集積場)”を過ぎた辺り。温泉街から歩いても30分程だ。(車で向かう際は道の途中にある駐車場を利用)
滝を見下ろす展望台でもある遊歩道入口には不動明王像が祀られ、生い茂る木々の間にちいさく滝の姿が見下ろせる。ここから滝壺までは一気に100m程下りる。途中には、ところどころ滑りやすい場所もある。足元は登山シューズや履きなれた靴がおすすめだ。
林間に響く水音に心躍らせながら、ひたすら下りること約15分。目の前に緑に抱かれた涼やかな瀑布が現れた。落差30m程だろうか。ちょうど扇子を広げたように滑状となった滝壺付近の岩肌を、幾筋にもなった白糸のような水がすべり落ちていく。その姿を正面に望む岩場によじ登り、霧のように細かな水飛沫を全身に受ける清々しさ。
ふと目を馳せればすぐ脇の岩穴に、苔むしたお不動様の姿も見える。水神である龍を従える不動明王は、修行における“魔”を払う神だ。この「不動滝」が古く、吾妻修験者の修行の場でもあったという話を思い出す。
ちなみに、来る途中にあった“ボタ山”は、明治から大正にかけて発見された2つの鉱山のひとつ、信夫硫黄鉱山跡だ。最盛期は年間3,000トンを採掘し活況を呈した鉱山で、1953(昭和28)年に休山したという。 [全文を表示]
高湯 江戸-明治時代編・冬の雪見露天巡り
2017/02/某日
いざ、“雪泊まり”の秘湯へ
「立春」も過ぎ、暦の上で春とはいえ、そこはまだ名ばかりの厳寒。すっぽりと深い雪に覆われる高湯の2月は、温泉好きの旅心を急かす雪見露天の季節だ。
昨年の“秘湯部門日本一”に続き、今年の“じゃらん2017年人気温泉ランキングの総合満足度”部門で、高湯温泉は栄えある第一位(!)に輝いた。折しも応募していた冬のお得企画「高湯で三泊富湯ごもり」の当選の吉報も届いたばかり!どうやら吾妻の神々と、私たちはすこぶるご縁があるらしい(笑)。
高湯に古くから伝わる湯めぐり指南は「三日一廻り、三廻り十日」。一般的に推奨されている温泉湯治は3週間程だが、高湯のいで湯は温泉成分の高さから、これを大きく下回る10日程で済むという。本来なら10日間滞在し、じっくりとこの説を心と体で感じたいところだが、残念ながら日程の都合で今回の予定は3日間のみ。予防医学が叫ばれる現代、温泉の果たす役割は近年、益々注目されている。有識者によれば、私たちのように長期逗留できない場合でも、健康維持のためには定期的な温泉利用が望ましいらしい。
年末から度重なる大寒波に襲われた今冬の日本列島。覚悟して向かった高湯は、ここ数日続いた小春日和のせいか積雪はやや少なめ。とはいえ、標高700mの寒暖の差で溶けてはまた凍りついた雪が、軒先に1m程もある見事な氷柱となって愉快な景色を描いている。
バイカーが選ぶ“日本絶景道50選”の6位にランクインする吾妻スカイラインが開通するのは例年4月初旬頃。それまで土湯方面への通り抜けができない高湯温泉は、まさに文字どおりの“雪泊まり(行き止まり)”の秘湯だ(笑)。高湯の冬は古き良き時代、ここを根城にひたすら湯と向き合い逗留した先人の暮らしを追体験できる、そんな場所のひとつかもしれない。
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高湯はじまり編・晩秋の一切経山を訪ねて
2016/10/某日
信仰の山、吾妻山に神秘の湖を訪ねて
山形県と福島県の県境に位置し、西吾妻山を最高峰に家形山、烏帽子山、東吾妻山、一切経山など2,000m級の山々が連なる「吾妻山(吾妻連峰)」は、その勇姿から古く山岳信仰の対象とされてきた。山内には今なお“賽の河原”や“天狗山”、“浄土平”、“蓬莱山”、“一切教山”、“経蔵ヶ沼(五色沼)”、“神蛇ヶ沼(鎌沼)”といった修験道にちなむ地名が数多く残されている。
吾妻山への登山口でもある高湯温泉の程近くにも、三途の川のほとりで亡者の衣類を剥ぎ取るという、“姥神信仰”に基づく“姥堂”の地名や、疫病退散や国家平安など、不動明王信仰に関わる「不動滝」がある。以前紹介した「安達屋」(詳細はこちらのブログを参照)の玄関前にある“吾妻山”の石塔は、かつて奥の院に行けない人々の遥拝所でもあったようだ。
吾妻山の“浄土平”(詳しくはこちらのブログを参照)の名は、高原植物であふれかえる季節に、極楽浄土を重ねたとも言われる。いずれにせよ、下界と一線を画す聖なる山域への畏怖がそこには込められている。
人と自然との長いつきあいの中で、我々は山に何を見つめ、登拝してきたのだろうか。古き時代と今とを繋ぐ、その心底に流れる祈りとは何だろうか。そんな想いを再燃させるニュースが突然、飛び込んできた。山が長い眠りにつく冬間近の晩秋、「一切経山 いっさいきょうざん」の噴火警戒レベルが引き下げられ、一部のコースで入山が可能になったという。胸に灯る想いの答えを見出すべく、一切経山の山頂から望む“魔女の瞳”こと、神秘の「五色沼」を目指すことにした。
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